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標高4.500mのヒマラヤ
3人の子どもたちが,学校が終わって,家路につきます
もう、秋も終わろうとしています
まったく違う話なのですが…
Led Zeppelin再結成の,たった1回だけのコンサート…
申し込んじゃいました!
まぁ、当選する訳はないのですが…
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A starving child stands beside his mother at a refugee camp in Southern Sudan.
飢えた子供が母親に寄り添う。 スーダン難民キャンプで
photo by Bon Ishikawa
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A war orphan at a refugee camp in Sudan during the starvation period.
戦争により追われた人々は史上最悪ともいわれる飢餓に苦しんでいた。
写真は孤児となった難民の少年。
Photo by Bon Ishikawa 1998. Southern Sudan.
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The eyes of a girl somehow I could not forget.
A street of Varanasi, Inida 1980 photo by Bon Ishikawa
あれは20のとき、初めて訪れた外国、インド。自分の可能性を信じて撮影に挑戦したが、なにひとつ思うように撮れず、絶望の日々だった。そんなある日、ガンジスのほとりで道に迷い、この少女に出会った。
不思議な目をした少女だった。カメラを向けても、目をそらすこともしない。たぶん4,5歳くらいだと思う。撮影時間は2,3分だっただろうか、まばたきすらせずにじっと自分をみつめていたのがとても印象的だった。
あれから27年の日々が過ぎたが、いまでも時々あの瞳を思い出す。何かが起こったわけでもない、言葉を交わしたわけでもない。しかし記憶のどこかにこびりついて離れないそんな一瞬。
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A girl in Ladak. 冬に訪れたレーの街角で。 Leh Ladak, Indid Photo by Bon Ishikawa
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3月のカトマンズ
シバラトリの祭りが終わると、
日に日に、暖かさを超えて、ちょっと、暑く感じるようになります
夜の時間と、日が出ている時間が、同じになり
路上を寝ぐらにしている子どもたちにとって、ハッピーな季節です
もう、凍るような寒さがないんですから…
そういえば、この冬、カトマンズでは、60数年ぶりに降雪があったとか…
標高1400mもある街ですが、緯度が低く、盆地のまわりに雪は降りますが
カトマンズ市街は、温暖です。
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カトマンズの友人が、日本へやってきました
…とは言っても、彼の場合、先月も来たのですが…
でも、今回は、いつもと違い…
婦人同伴です。これが、ちょ〜かわいい!
目的は、発売したCDの、プロモーションビデオの撮影。
どういう訳か、僕が撮影することになって…
彼らは、その完成を楽しみにしてるんです。
ところで…
MovableTypeコンテストで、Mdn賞をいただきました…
関係者の方々に感謝と、ねぎらいを!
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氷の回廊を歩く少年…
リンシェ村の男たちが、優しく、守りながら、歩いていました。
少年にとって、初めての旅は、緊張と興奮の連続だったに違いありません
やがていつか…
少年が、たくましい旅人になったとき…
これから、数えきれないくらいの、氷の回廊の旅を続けるに、違いありません
そのうちの幾度かは、きっと、僕と、旅をともにすることでしょう
僕たちは、氷の回廊で、小さなたき火を囲み…
懐かしい、旅の話をすることでしょう
そう、愛しき、ヒマラヤの旅の話を…
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マイナス30度の、リンシェ僧院
凍える朝でした。
少年僧が、大なべで、お茶の用意をしています
湯気が、なべから立ち上り…
何秒か後には、一瞬にして、氷の結晶になってしまいます
リンシェの寺に行くと…
台所に座って、彼らと話すのが、僕は、大好きです
他愛のない話…
それが、僕を暖めてくれます
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カトマンズの路上少年たち…
いつも担いでいるズタ袋は…
プラスティックの袋や、金属ゴミを集め、バッタ屋さんに売って、生活費を稼ぐための、道具なのです。
そして…
夜になると、寝袋になっちゃいます。
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お昼寝していたネコを、少年が抱き上げました。
「オレの家族なんだよ…」
路上少年のディパックは、うれしそうに、話しました。
いつも、少年は、ネコと一緒でした。
大きな、ずた袋に入れて、連れ歩いていました。
僕が見ていた、路上少年たちは、少なくとも、何人かのグループを作っています。
でも…
ディパックは、孤高です。
「仲間と、つるんでるのが、イヤなんだよね〜」
だから、子猫が家族でした。
ディパック少年を、カトマンズの路地裏で見かけたのは、2年ほどでした。
その後、少年は、何処かへと去っていきました。
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カトマンズは、今、ダサインの祭りが続いています。
街の路地の一つ一つを、長い年月の間、いったい、どのくらい歩いたことでしょう…
日本にやってくる、ネパールの友だちが、東京のことを良く知っているように…
僕も、きっと、彼ら以上に、この街の隅々まで、知っているかもしれません。
路地裏で出会った子どもたちも、成人し、子どもまでいるんですから…
時の経つのは、早いものです。
旧王宮近くの、カスタマンダップにある、小さなお茶屋さん。
ここで、いつも、ミルクティーを飲んでいました。
なじみの野菜売りのおばさんたちも、ずいぶん、年を取りました。
茶屋の親父さんも、白髪が増え…
走り回っていた子どもたちが、跡を継いでいたりします。
初めてこの街にやって来たとき、大きな登山用具を担いで、ヒッピージェネレーションの人たちがあふれている中、
僕は、ひたすら、この街を起点に、ヒマラヤを登っていました。
街の郊外に住んでいた頃の、なじみの外国人たちは、あれほどいたはずなのに、今は、指折り数えるほどしかいなくなりました。
そういう僕も、カトマンズのベースを離れ、今は、日本にいます。
また、ある期間、カトマンズに戻って、暮らすことも、あるかもしれませんね。
つい先日、ネパール人の写真家の友だちからメールが届きました。
彼とは、ずいぶん前に、新宿のギャラリーで、一緒に写真展をしたことがありました。
「ショージ 元気にしてるか? ところで、長年暮らしたカトマンズを離れ、ふるさとに戻って、仕事を始めています…」
彼は、シッキムのガントックで、数十年ぶりに暮らし始めました。
僕と同じく、ネパールの、政治的な状況を避けてのことでした。
僕は、シッキムへは行ったことがありませんが、いつの日か、訪ねてみようと思っています。
そのときは、お互いの、懐かしい、カトマンズ時代の話がはずむかもしれません…
祭りの季節になると、カトマンズを想いだします
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Young kids Eating lunch near the school of Linshed on a cold winter afternoon.
Today, this children are 5 years older, young man and woman, working the land,
feeding the animals and building young families.
once kids, naive and free.
today, they are in charge of keeping the tradition of the Zanskar people.
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ブタくんのロディオ、初めて見ました
カトマンズ•キッズの、ジョークなんですけど…
この少年,耳をつかんで,なんとか,乗りこなしてました。
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カトマンズ〜ポカラの間には,1972年(?) 頃に完成した道があります。
この道ができる前…
カトマンズからポカラへ至には,歩いていかなければなりませんでした。
現在の車道の、ずっと,北側に,古い交易路があります。
カトマンズ〜ポカラへと続く,素敵な交易路です。
約1週間の旅
僕は,この道が好きで,何度か歩きました。
標高2000m前後の,低い丘陵地帯をたどる道。
この道が魅力的なのは,現役の交易路であるだけではなく,様々な民族が暮らす村々を通過することです。
途中に,ロッジはあまりなくて,よく、民家に泊めてもらいました。
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カトマンズのいつもの散歩道…
夕方の光が、美しい街です。
いつも見かける三人組。
子どもたちが,路地で,楽しく遊んでいる姿は、街が、生きている証拠だと思います。
「写真とってよ〜」
現像した後で,気がついたのですが…
少年たちの足もと。
靴→サンダル→ハダシ
年齢の順に,偶然,こんな順番でした。
子どもが多いネパールでは,服や,教科書など、兄弟の,上から下へと,受け継がれていることも,多いです。
山の学校だと,ノートも,奇麗に,消しゴムで消して,弟が使っていることもあります。
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子どもの頃、こんなお菓子売りが、やって来たら…
目を丸くして,興奮したでしょうね。
インド亜大陸は,今でも,大人もワクワクになってしまう、路上の売り子さんがたくさんいます。
どんなものを売っているか…それを数えたら、いくつになることやら…
子どもたちにとっては、天国です。
僕も,ついつい,はまってしまいます。
いつだったか…
南インドの,コダイカナルで、路上の宝くじに挑戦したことがありました。
たった1回だけのくじを買ったのに…
なんと、1等を、当ててしまいました。
その場の雰囲気を想像してみてくださいね。
僕を中心に囲まれた輪の前の方は子どもたち,後ろは,近所のおばさんやおじさん。
何百という,鋭い視線が,僕の手に持った,くじに,集中してました。
宝くじやのおじさんは…
チャリ〜ン チャリ〜ンと、鐘を鳴らし…
「お見事! 1等を,この方が引き当てました〜!」
僕は,なんだか,照れくさいやら,恥ずかしいやら
1等の賞品は,村人羨望の、中国製の「オッサン自転車」でした。
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「学校の帰り?」
声をかけてみました。
ぱっと,振り返った笑顔が,今でも焼き付いています。
カトマンズの路地裏に関しては,ネパールの友人たちより,僕の方が,詳しいかもしれません。
東京に関しては,反対に,ネパールの友人たちが,新橋のガード下の、おでん屋さんまで知っているくらいですから…
どこに行っても,路地裏探検は,楽しいですね!
カトマンズだと,迷いながら,あの路地,この路地…と、勝手気ままに,楽しく歩けますし…
そうそう、北アフリカの,路地裏も,楽しいですね〜
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Kathmandu
カトマンズの,旧王宮広場の五重塔…
大きな夕日が,盆地の西の尾根に落ちてゆきます。
尖塔のてっぺんだけが,まだ、少しだけ,夕日を浴びていました。
塔の、いちばん上の,軒下をねぐらにしている,顔見知りのストリートキッズが,駆け下りてきます。
古い自転車の車輪を,上手にコントロールして,鼻歌まじりです。
空は,見事に,茜色です。
少年は,顔見知りの僕を見つけ…
「おじさん、今日も,いい天気だね! オレ、これから,遊びにいくとこで,忙しいんだ…だから、今日は,おじさんと,遊んであげられないけど,ごめん!」
少年と、すれ違った時の,小さな風。
冬の,冷たい空気が,なんだか,一瞬を,春のような温かさを感じました。
顔見知りのストリートキッズたちは、五重塔の軒下を「宮殿ホテル」と、名付けていました。
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カトマンズ中心街の、西側を流れる、ビシュヌマティ川
たそがれ時になると,素焼き色のレンガの家々から、夕食の支度の,おいしそうな香りが,漂ってきます。
河原では,子どもたちが,思い思いに,遊び回っていて,西の方からさす,一日の最後の光に照らされ,輝いています。
黒い輪ゴムを束ねた,ゴム蹴り遊びは、こどもたちには、勝ったことがありません。
もう、遥か以前のことですが…
引退していた,ミュージシャンの,キャット•スティーブンスと,どういうわけか、カトマンズで知り合い…
何度か,一緒に,ビシュヌマティの河原に,ギターを持って,遊びにいったことがありました。
彼の,ギターと歌を背景に,日が沈もうとしている瞬間。音楽と,子どもたちが遊んでいる姿が,とっても、すてきでした。
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カトマンズの子どもたちは,よく働きます。ほんとに!
カトマンズの庶民食堂は,子どもたちがたくさんいます。
何故,子どもたちが,働かねばならないのか…?
と、考えると,どうしても、「児童労働」の問題が,出てきますね。
多くの子どもたちが,地方から,出稼ぎに来ていて…
店に寝泊まりしながら,仕送りをしている訳ですが…
子どもたちの働きなしには,経済が成立しないこともたくさんありました。
少年らしいところも,たくさん持っています…
たとえば…
仕事の合間や,休みの日に,僕は,良く,映画に誘いました。
「あんたも,物好きだね〜 店があるから,俺は連れて行けないけど…あんたに,感謝してるよ…」
店の,親父さんは,そう,送り出してくれます。
2〜3人の子どもを連れて行こうと思ったはずが,仲間たちがぞろぞろと集まり…
30人くらいにふくれあがってしまい,僕の財布の中身を,心配してくれたりするんですよ。
映画館に陣取ると,小僧たちは,やんややんやの、大騒ぎで,チケット大以上に,楽しんでいました。
天気のいい日には,バスを奮発して借り切って,カトマンズ盆地の郊外へ,ピクニックもしました。
遠く,白く輝く,ヒマラヤ山脈を背景に,サッカーをやったり、隠し芸大会になったり…
子どもの,遊びを堪能する素質は,どこにいても,変わらないかもしれません。
むしろ、日本の子どもたちの方が,貧弱なような気もします。
長くつき合ってきた,カトマンズの子どもたちも,今では,すっかり,オッサンになっています。
たまに,路地で出会うと,照れ笑いしながら,目で,合図してくれる時は,とっても,幸せな気分になれます。
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ネパール•ヒマラヤを旅するとき…
学校の校庭に、キャンプさせてもらうことが,けっこうあります。
エベレストやアンナプルナ方面の,メジャールートでは,ロッジなどの,宿泊施設が充実していますが…
マイナーなルートや,交易路などは,ロッジが,一つもないルートが,けっこうあるんです。
校庭の他には,お願いして,民家に泊めてもらうこともありますし,寺に泊めてもらうこともたくさんありました。
ポカラから,ダウラギリの西側の谷ミヤグディを経て、ドルパタンからドルポの旅は,ロッジはほとんどありません。
このルートは,ヒマラヤの裏側へ抜ける,長い長いルートで,外国人が歩いているのは,珍しいかもしれません。
かつて、「雪豹」というタイトルで,ピーター•マシーセンが、書いていたことがありました。
1970年代に書かれたこの本を,何度も読み返して,雪豹の道を,辿ってみたくなりました。
ヒマラヤの深淵に,ひっそりと暮らす雪豹を,見ることができたら…
そう,思った,旅立ちでした。
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鯨漁の島、ラマレラ。鯨が一頭捕れると、村人は2ヶ月間、飢えをしのげる。村中、活気がでて、こどもたちの表情も明るい。
lamalera, whaling village in Lembata, Indonesia
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ちょっと寒い朝のこと…
中央ネパールの、マナスル山群の奥深くへ、旅をしていました。
マナスルのルートは、外国人には、滅多に会うことがありません。
僕は、さらにその外れた、古い交易路をたどっていました。
冬の始まりだというのに、半袖にショートパンツの少年二人が、こちらに歩いてきました。
気温は、氷点下。
手をこすりながら、少年たちは歩いてきます。
「これから学校なの?」
声をかけてみました。
「ちがうよ、畑へ行って、ひと仕事してくるんだ。学校は、そのあとにいくよ」
「お茶をいれるから、寒いんで、飲んでいきなよ」
道ばたで、お茶を誘いました。
少年たちは…
「じゃあ 僕たちは、まきを拾ってくるよ」
手際よく、10分くらいで、ものすごい量の薪を集めてきました。
古い交易路に、車座になって、たき火です。
ブラックティーをすすりながら、少年たちと、井戸端会議。
ヒマラヤの旅の楽しいひとときでした。
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木のノートに、泥のインク、そしてヤナギの枝を削ったペン。
リンシェ村の学校で、子供たちは、勉強しながら、村の外の世界を想像していました。
生徒の中で、隣村より遠くの街へいったことのある子は、ほとんどいません。
ヒマラヤの奥深くに位置していて、外の世界からも、遠い、遠い、リンシェ村。
子供たちは、学校の先生の話の中に登場する。ラダックの街レーや、デリー、アメリカや、日本など…
想像の中で、子供たちの、希望が、膨らんでゆくのでしょうか…
僕が、もし、この村で、生まれ育ったのなら、やはり、外の世界に、ものすごい、あこがれを抱いていたと思います。
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9月初旬、標高4000mを超えるリンシェ村。
黄金色に染まった、麦の畑は、刈り入れの真っ最中です。
秋の雲がたなびき、ヒマラヤの、オアシスのような村に暮らす人たちも、大忙し。
いつも、お世話になっている家の手伝いをしようと、僕も、麦畑で汗をかきました。
慣れないことをやると、腰が痛くてたまりません。
ちょっと働いては休み、ちょっと働いては休み…を繰り返していたら…
見かねた、タムチョス少年が…
「これ 食べて、力つけなよ!」
と、ツアンパ(麦焦がし)を、口に放り込んでくれました。
ノドがカラカラだったので、ツアンパは、僕の口から、煙となって、吹き飛んでしまいました。
ツアンパは、お茶と混ぜたりしないと、なかなか飲み込めませんね。
長いこと、チベット文化圏を旅していても、粉のツアンパを、そのまま、飲み込むことは、未だに苦手です。
でも、この味、大好きなんですけど…
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道を歩いているときは、頭を撫でたくなるような子供なのに、こうしてプロセッションやダンスに臨むときは立派なアーティストの顔をしている。
それは子供に限らず、大人もそうで、鍬をかついでいるおじさんが次の日には無限旋律のガムランを奏でていたりする。
アートが生活の一部になっている。それが自然なのが素晴らしい。
Bali, Indonesia
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少女が、楽しそうに、田んぼの中を駆け回っていました。
西ネパールのタライ平原。ネパールの、米どころです。
「わたしに ついて来なよ! おもしろいから…」
と、誘われ、田んぼの中へ突入しました。
ところが、一歩足を踏み入れたら…
ズブズブと、沈んでしまい、見事、顔面から、ころんでしまいました。
「なぁ〜んだ へたくそなんだね!」
少女は、大笑いです。
僕の右手に持っていたカメラは、悲しいかな、チョコレート色になってしまいました。
少女が、走り回っていたのには、訳がありました。
(僕には、ほとんど、楽しんでいたように見えたのですが…)
走り回る、足音で、泥水の中にいる、小さな魚たちを脅かし、捕まえるのです。
少女は、肩に、網を担いでいて、魚が逃げ出すと、サッと、捕まえていました。
田んぼの中を、たくさん歩いたことはあったのですが…
いきなり走り出そうとしたのは、初めてで…
その、一歩めから、泥に突き刺さってしまいました。
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カトマンズのストリート・キッズたち…
長い期間、あるグループを、ずっと、フォローしていました。
写真の少年は、ほんの数回しか見かけたことのない、単独行の少年でした。
一人で路上で暮らしている少年は、とっても、無口で、シャイなのですが、ものすごく、タフだと思います。
この日、少年と、夜明け前から、街中を歩いていました。
ゴミの山を見つけると、急いで駆け出し、ビニール袋をあつめるのです。
「お〜やった! 靴があるよ! きょうは、ラッキーだなあ〜」
大きな声で、僕を呼びました。
ぴったりの、革靴でした。
それまで、裸足で歩いていた足の裏は、まるで、靴底のように固くなっています。
いくつものひび割れと、こびりついたアカと汚れ…
見つけた革靴がこわれるまで、素足で歩くこととも、しばらく、ないでしょうか…
革靴が、自分のサイズに、ぴったりだったとわかったとき、少年の、一瞬の笑顔が忘れられません。
この日以来、少年を、街で見かけることはなくなりました。
もしかしたら、革靴に、不釣り合いな、緑色のジャージの上下を着て、田舎に帰っていったのかもしれませんね。
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Young warriors no matter how young you are !
Festival gathering.
Irian Jaya、 Indonesia
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カトマンズの路地裏から、女の子たちの歌声が聞こえて来ました…
歌声に誘われて、たどってみました。
建物の中に入ってみると、たくさんの人たちが、ベンチシートに一列に座り、無数の縦糸を貼った中に、細い指で、カーペットを編んでいます。
歌声は…ネパール語が少しわかる僕には、難しかったのですが…
織のデザインを、歌にしているのだそうです。
ネパールの、外貨獲得産業の上位に、カーペットがあります。
昨今、織り子たちの中に、小さな子どもが多く、児童労働として、輸入先のヨーロッパなどで、問題になっていますが…
ベンチシートに、僕もすわらせてもらい、織を始めたのですが…
あまりの下手さに、工房中が、大笑いでした。
僕の部屋には、彼らが織ったカーペットが一枚敷いてあります。
畳1枚ほどのカーペットに、ごろんと、横になると、あの時の、少女たちの歌声が、響いてくるような気がします。
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アンデスの雪ん子
ペルーの標高5000メートルを超える高地で、氷河を目指して十字架を担ぎ上げる秘儀コイユリティ。その取材に訪れていた私はサンダルだけではしゃぎまわる少女たちを見かけた。こっちはアイゼンまで用意する重装備だというのに、雪ん子たちはまるで庭を走り回るかのように楽しそうに氷河の上で戯れている。きっとどこかの村からコイユリティに参加するために来たのに違いないのだけれど .....その姿はまるでアンデスの雪山から迷い出てきた雪の妖精のようにも見え、とても眩しかった。
I climbed to the glacier of the Andes in Peru where exceeds altitude of 5000 meters, for the coverage of a hidden traditional festival. Then, I met girls like a fairy of the snow who put on only sandals though I was on climbing irons.
Who the heaven are they ?
I stopped to look at them. It was just like Fairies of Andes. They were playing on glaciers and never seemed stopping.
That was certainly really fun part of experience in such coverage.
The Andes, Peru.
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バリの外れの小さな村で、繰り広げられる神へ捧げるダンス。村人以外に観客もいない小さな祭りだが、その主役はまだ年端もいかない少女たちだ。人類学者クリフォード・ギアツが「劇場国家」と名付けたこの島では、そうした子どもたちも立派な役者だった。処女が神がかりになるレゴンダンスをはじめとしたさまざまな踊り。大葬儀でもやはり幼子が御輿に乗る。ボンボン(キャンディー)をねだっていたあどけない子どもたちが、このときばかりは、立派な「役者」の顔になる。
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海からの大きな贈り物が、やってきた2日後には、骨だけきれいに残して海岸に転がっています。
1年に数回あるかないかの大きな”イベント”なのですが、村人たちの生活は全てこの”贈り物”にかかっています。
実はこの”海の幸”がひとつあるだけで、1000人の村人たちが2ヶ月間暮らせます。
これから、ちょっと長い時間をかけて、21世紀にもまだ残っていたこんな島の写真物語をじっくりと記したいと思います。
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カメラを手にして、始めて海外へ出たときの1枚。まだ印度でコカコーラを売ってなかった時代です。
若かった私は印度の灼熱と喧噪、汚濁と混沌に打ちのめされて帰国しましたが、この1ショットは写真を続けていく上でその後の心の支えのひとつとなりました。
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カトマンズのビシュヌマティ川でのこと…
小さな女の子が、うずくまって、泣いていました。
「大切なお人形、ころんで、川に落として、こわれちゃったの…」
急いで、近所の雑貨屋さんに駆け込み、泥だらけになってしまった、人形を、洗いました。
だけど…こわれてしまった、人形を、どうやっても、直すことが出来ませんでした。
「ごめんね、こわれちゃったままで…」
少女に声をかけると、小さな声で「あ り が と」
人形を、ぐっと抱きしめました。
いつまでも、いつまでも、抱きしめていました。
そのときの、切ない目を、忘れることが出来ません。
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中国の西の果て、カシュガルのバザールの夜明け…
ここのバザールでは、少年たちが、本当に、よく働いています。
今でこそ、バザールを取り囲むように、漢民族の居住区が、どんどん増えていますが…
バザールの中へ足を踏み入れると、タイムスリップしたような気分になってしまいました。
目をつむって、ざわめきに集中してみると、シルクロードの響きが、聴こえて来ます。
イスラム圏のバザールは、本当に素晴らしいですね。
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中央ネパール、ブリガンダキ川近くの、ラプラック村。
村の入り口にある、たった1本の大木の下を、小さな兄弟が、家路についていました。
ネパールを旅するときの相棒、インドラと、この、光景を、微笑みながら、見送っていました。
ラプラック村は、インドラのふるさとなのです。
久しぶりに里帰りするインドラに、僕が、くっついて来ました。
マナスル山の、ずーと、ふもとにあります。このあたりは、メインのトレッキング・ルートではないため、外国人が訪れることは、ものすごくまれです。
たまに、見かけたとしても、僕のように、村の誰かの友だちだちです。
僕の方では、村の人の顔を覚えきれませんが、彼らは、僕のことを、覚えていてくれて、いつも、歓迎してくれるのです。
こんなことって、とってもうれしい気分になってしまいます。
インドラの家族は、とうさんが、早くになくなり、母さんと、妹、弟の3人が暮らしています。
家族や、親戚にしてみれば、インドラは、カトマンズで働く、村のヒーローみたいに映るらしいのです。
だって、村へ帰る少し前、カトマンズのバザールで、ラプラックへ運ぶ、土産や、村の水道管に使うパイプなど、それこそ、登山隊並みの荷物を集めていました。
インドラの、大量な荷物を運んだキャラバンが、村へ到着したとき、かあさんと、弟、妹の、うれしそうな顔は、忘れることができません。
インドラと、弟のカンチャの物語を、以前、ある雑誌に、2年にわたり、連載しました。
多分、本2冊分くらいの分量ですが…
webに、少し、要約文みたいなものを、連載してみます。
ちょっと、書き換えたり、新たなエピソードを試してみます…
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乾期の終わりの5月。
カトマンズの、ビシュヌマティ川に架かる吊り橋。
路地裏に暮らす子どもたちと、映画を見に行きました。
ものすごい行列の後ろに、並んで待っているとき、思いもかけず、すごい雨が降ってきました。
長い乾季で、乾ききった大地が、みるみる、しっとりと、気持ちよい水分で、いっぱいになりました。
いつもなら、雨宿りに走る、街の人たちも、久しぶりの雨に、うたれながら歩いていました。
映画は、ネパール版の、爆笑コメディでした。
カトマンズに住む、友人の一人が、映画スターで、僕と、彼の関係を知るや、子どもたちの、僕を見る目が変わってきました。
映画が終わり、吊り橋のところで、子どもたちは、大きな声で…
「きょうは、あ・り・が・と・う !」
暮れ始めた、カトマンズの街に、いつまでも、こだましていました。
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いくえもの氷の層が重なった、凍れるザンスカール川。
父さんが削った、ポプラの木の杖。
蒼い氷の厚さを確かめ、つかの間の休息です。
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少年の名前は、アヌープ。12歳。
カトマンズの路上で暮らす、少年でした。
夜明け前から、カトマンズの街中のゴミから、プラスチックを探し、仲買人におろすことで、生計をたてていました。
アヌープは、どこか、他の、路上の子どもたちと、違った雰囲気を持っていました。
何だろう?
ずっと、考えていたのですが、ある日、彼をよく知る人から教えてもらいました。
カトマンズの旧家の、上流階級の家庭の子で、お母さんが亡くなり、新しいお母さんがやってきたのですが、うまくいかなかったそうです。
どうりで、ほのぼのとした、性格に見えたワケです。
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午後4時、リンシェ村の小学校が終わると…
子どもたちは、かけ足で、家にもどって行きます。
白い馬に乗ってかえる子、ヤギを連れてかえる子、小さな妹を背負ってかえる子…
12歳のタムチョスは、学校の帰り、お母さんに頼まれて、こなさなければならない仕事がありました。
4500m付近にある、牧草地で、干し草を刈り取り、かついで帰る仕事です。
20キロを超える重さは、山で育った少年にとっても、少々きついはずです。
朝、学校が始まる前に、刈り取って、干しておいた草を、今度は、束ねて、家に持ち帰りました。
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リンシェ村の、小高い丘の上にに、沈みかけた陽の明かりが、一瞬さしました。
30分ほど前まで、畑で、農作業をしていた母子が、農具を担いで、家路につきました。
丘の上にさしかかると、少年が、振り向きました。
きっと、僕がそこにいた気配を感じたのでしょう。
ほんの1秒の出来事…
少年は、僕を見つけ、笑顔を浮かべています。
この、一瞬は、一日の、僕の宝物です。
この写真は、もう少し、コントラストがあるのですが…
小さい、この写真も、好きです。
僕の部屋に、畳一枚ほどにプリントした、この写真があって、時々、この、瞬間を、思い出しています。
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おいしそうに、ドーナツをほおばる少年。
カトマンズの、夕方の出会いでした。
街の安食堂が建ち並ぶ路地。
太陽がほとんど隠れ、日中、いっぱいに、日の光を浴びていた路地は、影がどんどん、大きくなっていました。
ストリート・キッズを、ずっと、取材していて、この少年も、よく見かける子でした。
でも、この子は、他の子たちと、何か、違う雰囲気がただよっていました。
多くのストリート・キッズは、仲間単位で動いています。
でも、この子は、いつも単独行でした。
僕は、この日、声をかけてみました。
「いつも、君のこと見かけてるんだよ、知ってた?」
「うん、オレも、気がついてたよ」
「変なヤツが、カメラもって、オレを見てるってね…」
「そう? 変に見えた?」
「最初はね。でも、オレたちの裏の情報じゃ、あんたは、別に、害はないって…」
「そりゃ、安心したよ」
「ところで、君は、どこの村から来たの?」
「ずーと、東のほうさ」
「君は、いつも一人でいるんだ?」
「別に、他のヤツらと敵対してるわけじゃないけど…群れるのがきらいなんだよ」
「そうか、その気持ちわかるよ。僕もそうだから…」
「あんた、ドーナツ食うかい?」
少年は、そういって、もう一つ持っていたドーナツを、分けてくれました。
日が沈んだ路地に腰掛け、しばらく話し込んでしまいました。
「それじゃ、オレ、行くから」
夜の帳がおりた、カトマンズの街の中に、吸い込まれてゆきました。
不思議なことに、この少年を、その後、見かけなくなりました。
他の子たちに聞いても、誰一人、行方を知りません。
僕が感じた印象では、この少年が、一番、たくましいオーラを発していました。
あれから、何年もたち。
少年は、今頃、どうしているのかな?
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12歳の少年タムチョスの、手のひらいっぱいの大麦です。
小石が、たくさん混ざっているけど、少年と、家族にとって、これからの1年の、大切な宝物です。
畑の泥とをいっぱい吸い込んだ指。
骨太で、がっしりとした手。
手のひらの麦を見つめる、少年の、輝いた瞳。
今にもこぼれ落ちそうな大麦。
いったい、何粒あるのでしょうか…
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少女は、まだ、幼いころから、人形を、宝物にして来ました。
姉から受け継いだ、その古い人形は、時を経て、あちこちが痛んでしまいました。
ある日、とうとう、人形の、カツラがとれてしまったのです。
悲しがるのかなあ…心配でしたが…
少女は、頭のスカーフを、ちょっとだけ、ずらして、見せてくれました。
「わたしと、おんなじになっちゃった。ほら、髪の毛がないでしょ?」
写真を撮っていた僕は、思わず、吹き出してしまいました。
少女の、少し生えて来た髪の毛には、訳がありました。
それは…
少し前のこと、カトマンズのビシュヌマティ川沿いの、環境の悪い場所にすむ少女に、シラミがわいてしまったのです。
おかあさんは…
「こんなこと、よくあることだよ…」
と、少女が大切にしていた髪の毛を、バッサリ切ってしまいました。
少女名前はビシュヌ。
今は、成人して、素敵なお嬢さんです。
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In Kyrgyzstan, every day brings a new surprise.
As we were bicycling near Lake Issyk-kol, we met two young boys that invited us to their home.
They didn't need to ask their parents. In Kyrgyzstan it's a custom to help people that have no place to sleep.
We had our tent and equipment, but it was nice once in a wile to sleep in a worm house.
As we were drinking tradition tea and eating home made bread with jam, I saw from the window of the kitchen a little girl, no more the 12 years old, riding a horse, and the last rays of the sun painted her face in yellow…
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ヒマラヤの、ザンスカール地方にある、リンシェ村の学校は、天に一番近い学校かも知れません。
標高4000mにある学校は、80人以上の生徒の学籍が登録されているのですが…
全員が揃うことは、ありません。
夏の間は、農作業や、遊牧と手伝い…
冬は、交易の手伝いや、家事の手伝い…
この写真は、これでも、結構集まった方でした。
マイナス30度。
それでも、太陽が出て、風のない日には、暖かさを感じます。
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インド・ザンスカール地方の、リンシェ村の小学校は、数年前に、海外の援助で、まったく、新しくなりました。
建物もそうですが、夏の間、外国からの、ボランティアの先生が来ていました。
外国人の先生の授業には、子供たちは、瞳を輝かせて、聞き入っていました。
「先生の住んでる町は、どんなところ?」
「リンシェ村から、馬で、何日かかるの?」
「車は、先生の町に走ってるの?」…etc
質問攻めでした。
僕も、かつて、1日だけ、授業をしたことがあります。
日本についての質問は、それは、すごかったですよ。
最初の質問は…
「Hondaは、先生の町の近くにあるんですか?」
「先生の家に、Hondaはありますか?」
Hondaのことについてでした。
子供たちの言う、Hondaは、発電機のことをさしています。
家には、電気が来ていて、ガスや水道が、あるんだよ…
そのことには、とても、興奮して聞き入っていました。
冬になると、外国から来た先生(この年はオランダからでした)も、帰ってゆきました。
村出身の、先生も、負けてられない…と、張り切っています。
子供たちにとって、学校は、ものすごい、情報の、宝庫です。
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野良犬の視線で、街を見てみると、どうなるのだろう?
そう思い、カメラのポジションを、ぐっと下げて、徘徊してみました。
僕は、カメラバッグとか、大装備を担いで、写真を撮らないので、歩くのも、軽快です。
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ヤク2頭を手に入れて、チベットの東を目指して、旅を続けていました。
夏の間、チベット人たちは、遊牧に出かけ、出会う村は、ほとんどが、女性や、小さな子供たちだけでした。
国境警備などに、見つかるとまずいので、僕も、チベット人の服装をして旅を続けました。
ネパールと違い、無人地帯が多く、数日間にわたって、人間に出会わない日も、数多くありました。
何日かぶりに、民家を発見すると、人恋しさに、急ぎ足になってしまいます。
得体の知れないよそ者でも、快く受け入れてくれるのが、とっても、嬉しいことです。
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ある夕方のこと…
カトマンズの、ビシュヌマティ川のほとりを歩いていると、ハーモニカの音が響いてきました。
音に誘われ、たどってみると、顔見知りの少年が吹いていました。
「とっても、いい音楽だね」
そう話しかけました。
「こんにちわ! いいでしょ! このハーモニカ…」
「拾ったんだよ。今日の、僕の宝物さ!」
少年は、耳慣れた、ネパール民謡を、上手に吹いていました。
カトマンズの、西の丘に沈み行く太陽の光が、少年の顔を、オレンジ色に染めました。
あたりの民家からは、夕食の支度をしている、おいしそうな香りが、漂い始めました。
光と、香りが、少年の吹く、ハーモニカに、なんだか、シンクロしているような気分になりました。
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路地裏で、子供たちの姿を、見かけなくなって、なんだか、寂しい思いがします。
遊ぶスタイルが変わり、子供の数も、確かに減った日本。
日本の子供たちは、どこで、遊んでるのでしょうか?
東南アジアやアフリカの街角では、学校が終わると、路地は、子供たちの姿で、あふれています。
遊び道具も、シンプルで、自分たちで、工夫して、道具を利用している気がします。
路地裏には、主人公の、子供たちの傍ら、犬や猫、ヤギや牛、小ブタたち…
自転車のアイスクリーム売り、竹竿におもちゃを吊るして売る人、屋台の駄菓子屋さん…
路地に、椅子を出して、茶をすすりながら、そんな光景を見つめる、老人たち…
ノスタルジーではなく、そんな路地裏を見つめて、気分が悪くなる人なんて、いないような気がします。
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雨期が明ける10月、カトマンズは、好天が続きます。
早朝や、夕方の路地は、柔らかい日差しが差し込みます。
素焼きレンガの建物が多い、カトマンズ。
オレンジとアンバーの色が、夕方には、一段と美しくなります。
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突然、ものすごい雷鳴が轟き、肌を刺すような雨が降ってきました。
路地を歩く人たちは、雨宿りの出来る軒先を求めて、大急ぎです。
僕は、この瞬間が好きです。
まるで、路地を独り占めできるような気分になります。
雨宿りをしながら、街の人たちは、空を見上げています。
「いつ止むんだろうねえ…」
そんなことを、思っているのかもしれません。
軒先にいた少年は、笑っていました。
「何か楽しいことあったの?」
そう聞いてみると
「だって、雨って、きれいだから…つい、嬉しくなったんだよ…」
少年は、夕立のような雨がやむまでの、しばらくの間、笑っていました。
そして、それを、路上で、ずっと見ていた僕。
少年を、不思議そうに、観察していた、レインコートを着た老人。
カトマンズの、雨の日の、出来事でした。
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峠のふもとの大きな岩に、タムチョスと二人で腰をおろして話をしたことを、今でもよく覚えています。
「リンシェ村に暮らしていると、この峠の向こうにはいったいどんな世界があるんだろうって、いつも思うんだ。だから、今はこうやって本を読んで、まだ見たことのない世界を想像してるのさ。僕、自動車のエンジニアになりたいんだ。だってエンジニアになれば、車に乗って、知らないところまで行けるじゃないか。ほら、あの雲が流れてる先に、きっと大きな街があるんだよね」
エンジニアになれば、いろいろなところへ出かけられる、タムチョスはそう思ったみたいです。
「エンジニア」、それが木のノート・ブックに書かれたタムチョスの夢です。
夢と希望をいっぱいにふくらませた、一二才の少年・タムチョスと同じ時を共有出来たことを、僕はとてもうれしく感じていました。
リンシェ村の夜空は、さそり座の赤い星・アンタレスに代わって、オリオンが輝き始めていました。
ハヌマラ峠の上に、雪が降ったようです。もう、冬が近づこうとしていました。
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学校で学ぶことの出来なかったタムチョスの父・ロブサンは、子どもたちに外の世界を知ってほしいと思っていました。
ですから子どもたちの学資にと、バターやチーズを売ったお金を、少しずつ蓄えていました。
きちんとした教育を受けさせるためには、街の寄宿舎学校に入らなければなりません。
それは、リンシェ村のような現金収入の少ない村で暮らすロブサンにとって、想像を絶する困難なのです。
タムチョスも、やがて村を出て、寄宿舎学校に入るのでしょうか?
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世話をしなければならないヤギたちを連れてきている子は、ヤギたちが逃げだしやしないかと、時折、口笛を鳴らし、ちょっとでも異変を見つけると、授業中だろうと飛び出してゆきます。時折、ガラ〜ン・ガラ〜ンと、カウベルの音が東の峠の方から聞こえてくると、先生も子どもたちも、じっとその方角を見つめています。街からのキャラバンの音なのです。
「お〜い、テンジン! 畑の刈り入れ手伝っておくれ!」
テンジンの母さんが、学校に呼びに来ました。
「しょうがないなぁ。親たちは子どもたちを貴重な労働力と考えているから、なかなか学校に行かせようとしないんだ……。でも、その考え方も変わりつつあるよ」
カルマ校長は、テンジン少年を笑って畑に送り出しました。村の中で世界は完結しているけれど、助け合って生きていく姿がここにはあります。
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夏の間、ヤギとタムチョスといっしょに、東のハヌマラ峠の方に行ったことがあります。タムチョスは、ヤギを気にしながらも、石灰を含んだ小さな白い石をいっぱい選んでいました。
宝物でも集めてるの? と僕が聞いてみると、
「ちがうよ! 砕いて、粉にして、水を混ぜて使うんだよ。これ、インクなんだ!」
僕は、なぜだか胸が熱くなる思いがしました。タムチョスは、ガラスの小さな瓶の中に入れた泥のインクを、いつも懐の中に大切にしまっていました。凍らないようにするためでした。
学校では、壁に貼ったアルファベットの教材を使って、英語の授業をしています。居眠りをしている一年生も、教材のポスターに書かれた船や、鯨や、電話の絵に目が釘付けになっている子どもたちも、アイスクリーム、テレフォン、カー……、といった単語のほとんどを、実際に目にしたことがありません。新聞もテレビもなく、電灯すらないこの村のタムチョスたちにとって、学校で習うことが唯一、外の世界や、あこがれの街との繋がりなのです。
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僕がリンシェ村で過ごした最初の冬は、校長のカルマの家に居候させてもらいました。若く、とても熱心な先生です。僕たちの感覚では、学校には夏や冬の休みがあるはずですが、ここでは村や子どもたちの希望で、日曜日以外は一年中、学校があります。ただし、麦の刈り入れの季節になると、先生も子どもたちも、それぞれの家の畑の手伝いで、遅刻したり早退したりします。
「学校っていうのは、子どもたちには夢への、親たちには希望への手がかりを作ることころかもしれないね。我々は、チベット仏教の教典からも、生きていく礎となる様々なことを学べる。学校で学ぶことと、チベット仏教から学ぶこと、どちらの知識も、人を完成させるために必要なものだと思うよ」
カルマ校長は語りました。学問と仏教の教えは、この土地に暮らす人にとって、切り離しようのない関係にあるような気がします。
抜けるような空の日は…といっても、ほとんど毎日ですが、子どもたちは校庭で車座になって、一年生から八年生まで、みんないっしょに授業を受けます。先生はたったの三人。一冊の教科書を何人もで囲んでいます。
紙のノートはほとんどありません。彼らの使うノートは、四〇センチほどの、握りのついた小さな板です。木を削ったペンに、泥がインクのかわりです。極度に乾燥した気候のせいでひび割れた手で、書いては消し、書いては消している姿が目に焼き付いています。この板のノートも、ほとんどが兄さんや姉さんたちから譲ってもらったものです。
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「お〜い、学校へ行くよ〜」
家を飛びだしたタムチョスは、隣の丘の上に住んでいる同級生に向かって叫びました。
学校までは坂道を一時間。冬になれば、滑ったり転んだりの道のりです。小さな弟や妹を背負って子守をしながら来る子、クワをかついだまの子……。村はずれに住んでいる子は、白いロバに乗って、さっそうと通って来ます。タムチョスも例にもれず、妹のユンタンといっしょです。八才のユンタンはとてもしっかり者で、母さんの手伝いもよくやっています。
「お兄ちゃんは、勉強はよく出来るけど、家の仕事はちっとも手伝ってくれないんだから……」
ユンタンは、いつかきっといいお母さんになるような気がします。
やがて、子どもたちの列は小さな沢を越え、たわわに実った麦の畑を横切り、学校に近づくにつれて長くなります。誰からともなく、村に古くから伝わる歌を口ずさむと、風が麦の香りとともに歌声を運んでゆきます。
タムチョスが通う学校は、村を見下ろす丘の上に建つ小さな学校です。日干しレンガを固めて建てた校舎は、一〇年ほど前、村の男たちが総出で造り上げました。
ヒマラヤの奥地では、それがどんなに小さく、貧しい村であろうと、学校は村の一等地にあります。かならず村を見晴らすことの出来る場所にあるのです。それは、学校は子どもたちだけのためにあるものではなく、村全体の、夢と希望に近づくためのものでもあるからです。リンシェ村にとっての学校は、孤立した生活と文化を広げるための、もう一つの回廊なのかも知れません
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「いつかきっと、エンジニアになるんだ」
一二歳になるタムチョスは、村の小学校の五年生。生まれてから、ただの一度もリンシェ村の外に出たことがありません。なぜならリンシェ村は、隣村でさえ三日もかかるほど周囲を高い峠に囲まれた、ヒマラヤの奥地にあるからです。
タムチョスの夢は、大きくなったら自動車のエンジニアになることです。けれど、生まれてから、ただの一度も自動車を見たことがありません。自動車という言葉も、学校の教科書で初めて知りました。同級生のほとんどが、自動車や汽車はおろか、自転車すら知らない子どもたちなのです。
リンシェ村の子どもたちの多くは、村の外を知りません。テレビも電話もないこの村では、学校で習うことだけが唯一、子どもたちの知識のよりどころなのです。良くも悪くも、村の中だけで世界が完結しているのです。そう、あとは空想の世界が広がっているだけです。
四方を五〇〇〇メートルを超える峠で囲まれたリンシェ村では、昔ながらにヤクを飼い、麦を育る、とても素朴な生活です。タムチョスも仕事を手伝わなければ、家族が暮らしていくことは出来ワせん。タムチョスは、毎朝、ロバを家畜小屋から牧草地に連れていくのが役割です。週に一度は、ヤギたちを峠の近くまで、丸一日かけて連れてゆきます。
家に戻ると、仏間の水を取り替え、ツァンパの朝食です。朝食を終えると、急いで、もうボロボロになってしまった教科書をバックに放り込みます。
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少年の名前はゴパール
ストリートキッズのリーダーで、カトマンズの路上で暮らして9年ほどでした。
僕は、ある時期、数年間にわたり、カトマンズのストリートキッズを、ずっと撮影していました。
それも、ゴパールとの親交があったからこそでした。
小さな子に、路上での生き方を、教えていました。
どうやったら、街の人たちに、憎まれずに暮らせるか…
どうやったら、お金を稼げるか…
どうやったら、仲間とうまくやっていけるか…
そして、どうやったら、路上の暮らしから卒業できるか…
自分が手本となって、みんなに、生き様を見せていました。
ゴパールの、路上生活の、卒業間際のこと…
一緒に、夕方の、街を歩いていました。
素焼きのレンガの壁一面に、新作映画のポスターがたくさん貼ってありました。
「オレも、こんな、映画スターになってみたいな…でも、無理か…」
そう、独り言をつぶやいていました。
僕は
「そんなことないよ、やろうと思えば、出来るかもしれないよ!」
「映画スターは、冗談だけど、いつかは、長距離バスの車掌になりたいんだよなあ…」
どうして…? と聞くと
「オレが、田舎から出てきたとき、バスの車掌に、ただで、バスに乗せてもらったんだよ。今度は、オレが、恩返しの代わりに、オレみたいな子供たちを、バスに乗せてやりたいんだ…」
あの時見たポスターの、映画の主人公は、僕の友だちでした。
彼に、ゴパールの話をすると、ゴパールを、食事に、招待してくれました。
その時の、ゴパールは、ものすごく緊張していて、そばで見ていた僕は、なんだか微笑ましくなってしまいました。
そして…
あれから何年もたった今、ゴパールは、路上生活を卒業し、東ネパールで、農夫として、奥さんと、子供たちと、ささやかな暮らしをしています。
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雨の日のことでした。
急に降り出した、激しい雨で、カトマンズの路地裏では、大急ぎで、みんな、雨宿りの場所を探していました。
僕も、カメラだけぬれないように、ビニール袋に、入れましたが…
でも、雨に打たれるのが気持ちよくて、そのまま、立っていました。
大慌てで走る回る人たちを、眺めていました。
二人組の少年が、雨を楽しんでいるように、歩いてきました。
ちょうど、僕の目の前に、インド製のジープが停めてありました。
年長の少年が、ドアを触ると、ロックがかかっていませんでした。
二人は、ジープの中に入り、シートに腰を下ろしました。
様子を見ていて、盗もうという、雰囲気ではありません。
ただ、雨宿りに使っているだけのようでした。
キーをさしたままのジープの、ワイパーを動かし、フロント・ウインドウ越しに見える空を、少年たちは、楽しそうに眺めていました。
僕のそばに、一人の紳士が、走ってきました。
車の持ち主でした。
少年たちの、雨宿りのいきさつを説明すると、持ち主の男は、笑顔で言いました。
「私も、子供の頃、あの少年たちと同じように、停めてある車で、雨宿りを、何度もしたもんですよ…」
男は、車に向かわず、そのまま、雨がやむまで、30分ほど、僕のそばにたって、話をしました。
「子供だった頃、車に憧れていました。それは、手の届かぬ、雲の上のもののようなものでしたよ…」
「あの子たちの嬉しそうな時間を、少しでも、邪魔しないでいようかな…」
雨が上がり、持ち主の男は、水たまりを避けず、ゆっくりと、車に向かって歩き出しました。
少年たちが、気づき、あわてて、ドアを開けようとしています。
男は、笑顔で、少年たちに手を振りました。
ドアから降り立った、二人の少年の瞳は、瞬間、とっても輝いているのを、僕は見ました。
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カトマンズの朝4時、あたりはまだ、闇に包まれています。
街の路地を歩いてみると、野菜売りたちが、仕入れた商品を運んで、ものすごく急がしそうにしています。
もう、街は動き始めているのです。
ルムネス少年(12歳)と、初めてあった朝も、カトマンズの街は、霧に包まれていました。
12月から2月ころまで、朝は、霧に包まれることが多いのです。
少年は、学校へ行くまでの早朝、生鮮野菜を、路上で売っていました。
彼の店の前に、ずーと座って、僕は見つめていました。
積み上げたホウレンソウや、カリフラワーが、暗闇が明けるのと同じペースで、どんどん減ってゆきます。
大声を上げて、客を呼び集める野菜売りの中、少年は、無口で、ほとんど一点を見つめていました。
カトマンズのバザールには、ルムネス少年のように、学校へ行く前に、家事を手伝っている子供たちがたくさんいます。
少年とは、その後、10数年来の付き合いです。
今は、もう、野菜売りのバザールには来ていませんが、自動車の修理工として、働いています。
それでも、カトマンズの朝を歩くと、つい、あの、少年や、女の子たちが、バザールの中で、まだ働いている姿が、よみがえってきます。
カトマンズは、僕にとって、不思議な街で、いつも、同じ時が、そこにあるような気がしてなりません。
ルムネスのおかあさんと、バザールで、ミルクティを飲みながら、井戸端会議をしました。
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12月、カトマンズに、冬がやってきます。
とはいっても、氷点下になることはまれですが…
ぶるっと寒い、朝のカトマンズを歩くのが、大好きです。
毎日、いろいろな路地や広場を回りましたが、必ず寄るところがあります。
カスタマンダップ広場です。
ここは、長い間、なじみの、ミルクティ屋さんがいて、そこで、井戸端会議です。
たいした話ではないのですが、この時を大切にしてきました。
ネパール語と、英語の混ざった会話です。
この広場には、僕がいつも見続けている、子供たちが集まっています。
あまりにも期間が長過ぎて、子供だった子が、子供を持つ年になってしまいました。
この写真の朝は、冷え込みました。
朝日が当たり、子供たちも、日だまりを求めて集まってきました。
アヌーや、姉妹たちの写真には、とても印象的なものが、多くあります。
Terraの中でも、既に、紹介していますので、探してみてください。
この写真は、あらゆる写真の中で、僕の、お気に入りのショットのひとつです。
カトマンズの、ある場所に、大きく伸ばした、この写真が、飾られています。
子犬があくびをして、アヌーが笑顔をたたえてくれてた時は、何年も流れました。
それでも、この写真を見るたびに、カトマンズで出会った、子供たちの顔を、たくさん、思い浮かべてしまいます。
この1週間ほど、秋田へ出かけてきます。
その間、この写真を、たまに見てくださいね。
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少年たちがやっているのは、ビー玉です。
僕が、子供の頃やっていたのと、ほとんど同じルールでした。
勝負になると、熱くなるのは、日本の子供以上です。
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路上のミルクティ屋さんは、何時頃、店開きをするのか…?
カトマンズにいる時、いつも気になっていました。
いつも、朝3時頃起きて、3時半には、街の中へ、撮影に出かけていました。
その時刻は既に、なじみの、ミルクティー屋さんは、オープンしています。
カトマンズの朝は、近郊の農家から、野菜を、バザールに卸しにくる人たちから始まっているようです。
天秤棒を担いで、人参や、カリフラワーが、路地いっぱいにあふれています。
そんなとき、ふと一息入れに、ミルクティ屋さんに、人が集まってきます。
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カトマンズの冬が終わり、暖かい日差しがさし始めた2月(カトマンズは2月から、春が始まります)
路上少年(ストリート・キッズ)と呼ばれる少年たちも、存分に、水浴びをする季節がやってきます。
公共の井戸や水道、路上少年をケアするNGOの施設などで、少年たちは、それはもう、笑顔たっぷりで、水浴びをします。
温水のシャワーが、そんなに多く普及していないカトマンズでは、嬉しい季節の始まります。
マイ石けんを大切に使いながら、頭のてっぺんから、足の先まで…
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峠に向かって歩く二つの人影がありました。タムチョスと、兄のラマ・ドルジェです。
初夏の太陽はまぶしく、よどみのない空の青は、北の空に向かうにしたがってだんだん濃くなって行きます。
二人は、黒い石を探しに出かけたのです。
ラマ・ドルジェは一八歳。一〇年前にリンシェ寺で出家しました。毎夏、リンシェ寺では、豊かな麦の収穫を祈って、砂曼陀羅の儀式があります。白、緑、赤、青、黄、黒の鉱物を砕いて、鮮やかな色砂を作り、九日間かけて曼陀羅絵を作り上げるのです。ラマ・ドルジェは、この砂曼陀羅を作る若き僧院長の助手に指名されました。
ラマ・ドルジェは、出家して何年もの間、茶坊主を勤めていました。修行僧たちに、いつも熱いバター茶を注ぐ役の少年僧でした。真冬の凍れる風が寺院内に吹き込む日も、裸足で台所から銅のポットを抱え、寺の中を駆け回っていました。
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カトマンズの路地裏を歩いていると、いつも、同じ路地、同じ四つ角、同じ時間にいる子供たちに出会います。
生活の不規則な、日本時間で暮らしていると、忘れてしまいそうですが…
カトマンズ路地裏の時間…
というのが、僕の肌にあっています。
規則正しい時間=勤勉 と、言う訳ではありませんが、生きていく、大切なリズムを感じます。
毛糸玉の少女も、いつも、同じ場所で、同じ時間に出会いました。
たいがい、気になる人たちがいると、声をかけてしまうのですが、この少女だけは、挨拶以外は声をかけなかった一人です。
どうしてかと言うと、毛糸玉が小さくなるまで、夢中になって、編み物をしていたからです。
何を編んでいるんだろう?
誰に編んでいるの?
たのしい?
…
いろんなことを聞きたかったのですが、あまりの集中力を、邪魔したら悪いようで…
大きな毛糸玉が、小さくなるまで、僕も、黙って、じーっと見ていました。
この写真の瞬間だけでなく、何ヶ月もです。
ある年、いつものように、夕方のカトマンズを歩いていて、ふと、毛糸玉の少女のところへ、久しぶりによってみようと思いました。
コンクリートに、背をもたれて、いつも、毛糸玉を小さくしていた少女。
もう、そこにはいませんでした。
次の日も、様子を見に行ったのですが、やはりいません。
規則正しく、時を刻むように、毛糸玉を小さくしていった少女。
その規則正しい時間の中から、彼女はいなくなってしまいました。
後日、家主に、事情を聞いて、答えがわかりました。
「あの子のことかい? あの子はね、年季奉公が明けて、田舎に帰っていったよ…」
そうだったのか…
話しかけなかったことを、ちょっぴり後悔。
今日も、毛糸玉の少女がいなくなったカトマンズも、同じ時間に、少女が座っていた、コンクリートの前の通りを、いつもと同じ、野菜売りのおじさんが、通りすぎて行きました。
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学校の帰り道。標高4500mの牧草地で、お母さんに頼まれた、干し草を、持って帰る途中です。
10頭いるヤクたちのエサになります。
昨日の帰り道は、20キロの、ポリタンクに水をいっぱいつめて帰りました。
12歳のタムチョスは、当たり前のように、毎日、家事手伝いを、ニコニコしながらしていました。
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子供の瞳って、なんて透き通っているのでしょう…
カトマンズ郊外のサク村。
友達の子供の、元服の儀式に招待された日でした。
近所に住むその少年は、お父さんと一緒に、儀式にやってきました。
夕方のことでした。
少年の視線は、何を見つめているのでしょうか?
こんなきれいな瞳を、いつまでも、持っていてほしい。
ヒマラヤだけでなく、どんなところでも、子供たちの瞳には、いつも吸い込まれてしまいそうです。
サク村から、カトマンズ市内に戻ってくる時、満月の晩でした。
田んぼに蛍が舞い、月明かりが、ガタガタ道を、照らしていました。
田んぼの香りが、風に乗っていました。
オートバイに乗っていた僕に、いつまでも、心地よく、からだいっぱいに受けとめていました。
満月の中に、あの少年の瞳を見ながら、カトマンズの街へと戻ったのです。
この写真は、あることがきっかけで、詩人の谷川俊太郎さんが知ることなり、わざわざ、この少年の瞳のために、詩を書いてくださいました。
残念ながら、著作権の関係で、ここでは、載せることができませんが…
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As wandering the small streets of Katmandu,
I met a group of boys, with no parents and no home.
They played some card game with pieces of match boxes.
After watching them for some time, they invited me to play.
Maybe it was lack of communication.
Or maybe just lack of understanding,
but until today I don’t know the rules of that game.
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カトマンズの朝は、路地裏が息づいています。
朝、まだ、明けやらぬ頃から、天秤棒をかついだ、野菜売りが、バザールへと急ぎ、歩いているところから始まります。
毎日が「朝市」で、野菜を買い求める客たちの人いきれで、路地はあふれています。
ふと、空を見上げると、夜明け前の星が、こうこうと、瞬いています。
野菜のバザールが、一段落する7時頃…
古いれんが造りの家並みから、子どもたちが起き出してきます。
カトマンズには、水道のない家も、まだ多く残っています。
共同水道には、洗濯物を抱えたオバチャンたちが集まり、本物の、井戸端会議の始まりです。
子どもたちは、学校へ行く前に、そこで、歯を磨き、顔を洗っています。
写真の少女の名前は、アヌー。
この子も、遥か何年も前から、ずーと、写真を撮っている子の一人です。
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Nannu was playig with stone in the back street of Kathmandu.
少女の名前はナヌー。
カトマンズの旧王宮広場では、名のとおった子どもでした。
初めて出会ったのは、もう、15年以上前の事でした。
当時、カトマンズの子どもたちの撮影を始めていて、毎日、街を歩き回って、ちょっと、お茶を飲む時、カスタマンダップにある、なじみのミルクティー屋さんで、いっぱいごちそうになっていました。
ナヌーは、ミルクティー屋さんの近所に住んでいて、毎日のように、色々な遊びをしている子でした。
サヌー、ナヌー、アヌーという、三姉妹の真ん中の子で、いちばん寡黙だけれど、行動は、いちばん見ていて、楽しくなるほど、遊びに熱中していました。
遊び道具は、目の前にあるもので、即興です。
この日は、石を拾って来て、おはじき遊びをしていました。
彼女の、飛んでいる石を見つめる瞳は、ポジフィルムを現像し終わってみて見ると、なんと、無垢な事でしょう。
ミルクティーを飲んでいる僕のところにやって来ては、にっこりと合図をして、駆け出して、遊びに行っていました。
カスタマンダップのミルクティー屋さんを訪ねると、今でも、サヌーが、駆け出して来るような気がしてなりません。
10数年が経ち、遊んでいる子どもの姿は、見覚えのない子どもたちでいっぱいです。
あの頃遊んでいた子どもたちは、もう、すっかり、お父さんや、お母さんになっています。
今、遊んでいる子どもたちは、そんな彼らの子どもたちかも知れません。
2年前、久しぶりに、ナヌーと再会しました。
すっかり、おばさんしていますが、瞳は、あの時のまま、好奇心に満ちた光でいっぱいでした。
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中部ネパール、マナスル山群の麓にあるラプラック村。
僕の友だちインドラのふるさとです。
ラプラック村を見下ろす峠で、少女が一休みしています。
ドッコという竹で編んだ、少女のからだほどもある、大きなカゴを持っています。
少女は、これから、半日歩き、森で、薪を集めにいく途中です。
森から帰って来る頃、この峠で、最後の一休みをするでしょう。
そのとき、ドッコの中の薪は、自分の体重よりも重くなっています。
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ふたりはいつも、仲良しです。
あさから、よるまで、ずっと一緒。
カトマンズの西側を流れる、ビシュヌマティ川のほとりの、小さな家に暮らしています。
ふたりは、ネパールの、違う民族です。
左側の子がチェトリ族、右側の子がマガール族。
まるで、姉妹のように、すごして来ました。
今、この少女たちの年齢は、20歳を超えています。
今でも、ふたりは、仲良しです。
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初冬のカトマンズの路上でした。
日本よりは、ずっと暖かいとはいえ、冬が始まる季節のあさは、寒いものです。
カトマンズの古い民家には、まだ、シャワーが装備されている家は、そう、多くありません。
路地裏にある、共同の水場で、冷たい水を浴びて、体を洗っています。
少年は、からだ中、おかあさんに、石けんまみれにされています。
石けんの泡が、目にしみて、それまで楽しそうに水浴びをしていたのですが、
とうとう、大泣きをしてしまいました。
たくましいおかあさんは、それでも、気にせず、ゴシゴシ、ゴシゴシ。
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マラウイを、車で走っていて、小学校らしきところで止まり、学校に入りました。
ここの子どもたちには、共通の特徴があります。
なんだかわかりますか?
そう、みんな坊主頭で、長髪の子は一人もいませんでした。
この小学校は、ゾンバヒルという丘の麓にある学校です。
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Girls are playing in the back street in Katmandu.
A plaything is devised and all are played happily.
All childhood is the genius of play.
子どもの頃は、どんなものでも工夫して遊んでいたのに、大人になると、遊びのアイディアを忘れてしまう事があります。
カトマンズの路地裏では、子どもたちが、色々な遊びに、工夫を凝らしています。
少女たちは、なわとびを、本当に、楽しそうにしていました。
「おじさんもやってみる?」
そう誘われ、いざ実践。
結構得意だったのですが、少女たちには、まったく歯が立ちませんでした。
写真の中央で、飛んでいる少女の表情、とっても、素敵です。
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2-year-old my niece found rape blossoms. It is the sign of spring in Japan.
「きいろのはながあるよ わたし、だいすきよ」
2歳の姪を連れて散歩の途中、近くの空き地で、春を見つけました。
今年は、もう、桜も咲き始めています。
春のしるしが、色々なところで、見つける事が出来るようになりました。
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Boy`s smiling faces looks so happy.
Through a footpath in rice field, they go to school or they go to a friend's house.
Do you enjoy and walk along the "way" in your daily life ?
少年たちの顔を見ていると、家に帰る道が、ほんとうに、楽しそうに見えます。
この、あぜ道を通って、学校に通ったり、友だちのうちへ行ったり…
日常の中の「道」が、とっても、素敵に感じます。
通勤や通学の「道」を、みなさんは、楽しんで歩いていますか?
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Children are playing vigorously In the back street of Kathmandu.
Do you have memory of such play ?
カトマンズの路地裏で、僕のお気に入りの路地がいくつかあります。
その路地は、夕方になると、老人たちが椅子に座り、たくさんの子どもたちが遊んでいる姿を、微笑ましく見守っています。
路地裏が、活気づいているのは、そこに立っていると、とても幸せな気分になれるような気がします。
子どもの頃、こうやって遊んだ記憶、ありますか?
僕は、ベーゴマ、けん玉、かんけり、森の中で探検ごっこ、川で泳いだり…が、日常の遊びでした。
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Many small schools are at the foot of Himalaya.
A Laprak village is a village at the foot of Manasul in central Nepal. Houses are located in a line so that it may nestle up to a steep slope.
ヒマラヤの麓にある、小さな山の学校です。ネパールの、マナスルという大きな山の麓にある、ラプラック村。標高は2500くらいで、急な斜面に、家々が、寄りそうように集まっています。村の中を歩くと、坂道だらけで、坂を登り詰めて、一番見晴らしのいい場所に、小学校があります。小さな校庭でサッカーをすると、ボールが、グラウンドからこぼれて、どんどんと、谷の方に落ちていってしまいそうです。街の中の学校と違い、子どもたちが、全員集まる事は、ほとんどありません。みんな、家の仕事を手伝っているからです。僕の撮影アシスタントのインドラも、この学校の卒業生でした。卒業して、何十年も立った今、インドラは、カトマンズをベースに暮らしています。年に一度は、村に帰り、年老いた母ひとり暮らす、ふるさとを訪ねています。子どもたちが学ぶ、この校舎も、インドラたちが稼いだお金で、やっと、新しく立て替えました。いつの日か、この校舎から卒業する子どもたちも、村をあとにしてゆくのでしょうか…
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I got a e-mail from former street children whom I was covering his photo story more than ten years ago. He is doing a social worker now in Katmandu. He who had ever lived in the street, is taking care of the children of a street now.
I took this photograph at the age of his ten on the street of Kathmandu.
今、オレが、何をやっているか、知っていますか?
ネパールのカトマンズという街で、ソーシャル・ワーカーをしています。
写真は、10数年前のオレです。ストリート・チルドレンだった時代です。
ショージが、僕たちのグループにくっついて、ずっと、写真を撮っていた時のものだよね。
あの頃のオレって、薄汚かったんだなあ〜
いつも裸で、みんなから、「パンツ」という、ニックネームをつけられていました。
ところで、日本は、サッカー強いね。
オレも、子どもの頃から大好きで、今でも、仕事で知り合う、ストリート・チルドレンの子どもたちと、一緒にやっています。
オレが、路上生活を卒業して、今度は、その子どもたちの世話をする仕事に就くとは、思いましませんでした。
まあ、とにかく、オリンピックの予選と、ワールドカップへ向けて、ネパールの変わりに、がんばってほしいな。
ナカタがいるから、大丈夫だよ! それと、タナカという選手も、いいね。
オレ、よく、日本のサッカー知ってるんですよ。
さてさて、これから、夜は、路上を一回りして、子どもたちが、安心して、眠れるように、パトロールに出かけます。
それではまた。
カトマンズにも、早く、また来てください。
ラメッシュより
鼻たれで、ちびっ子だった、ラメッシュから、メールをもらいました。
路上で暮らした子が、今度は、路上のこの面倒を見る立場です。
きっと、良き、兄貴になれるでしょう。
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ヤナギやポプラの流木を、子どもたちがたくさん集めていました。
パキスタンの北部、フンザに近い、小さな村の近くです。
この河原は、インダス川の源流の一つで、実は、写真の右手には、大きな、カラコルム山脈がそびえていました。
杏の花が終わり、夏を迎える季節でした。
それでも、風はまだ冷たく、流れる水は、氷河の雪解けで、ミルク色をしています。
真ん中の子と右側の子は、兄弟で、左側の子は、友だちらしい…
というのも、彼らは、ウルドゥー語を話しているのですが、僕が話しかける、ちょーネパール語訛では、半分も通じません。
ネパール語は、ヒンディー語、ウルドゥー語と、お仲間の言語みたいなものなので、少年たちの話すのは、なんとか僕の耳に入って来ました。
「兄ちゃん、寒くなってきたよーーー」
「もう少し集めなくちゃ。少しの辛抱だよ」
「わかったよ」
という事を、少年たちは話していました。(そういう風に、ネパール訛の耳の僕には聞こえました)
「ところで、おじさん…アフガンから来たハザラの人かい?」
流木を集めていた少年が、僕に、視線を、ちらっと投げかけて聞いて来ました。
アフガンから来たハザラの人…というのは、モンゴロイド系の部族の事です。ハザラ族の人たちは、僕と同じような、日本人が、日に焼けたような顔をしています。
僕は、ハザラの服を着ていたので、少年たちも、すっかりだまされてしまいました。
日本人の顔って、結構便利なものです。
アラスカにいると、イヌイットに間違われるし、シベリアにも似たような顔があるし、チベットなんか、そっくり。南米も、ちょっと無理すれば、似ています。
「おじさんは、ハザラの、トーキョー村からやって来たんだよ」
「ふーん。おじさんの村、いい所?」
「いい所だったら、君たちのフンザに、わざわざ来るわけがないじゃないか」
「おじさんフンザが好きなの?」
「凄く美しい所だね…」
「そうだろう!」
「おじさん、ウチに来るかい?」
またまた、いつものように、およばれして、泊めてもらってしまいました。
その日の晩は、ブラウン・トラウトのフライで、なんとおいしかった事でしょう!
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The 12-year-old boy was carrying the 30kg load.
12歳の少年が、30キロの荷物を運んでいました。
ネパールの山の中で、大きな荷物を担いだ、少年ポーターとすれ違い、声をかけました。
「どこまで行くの?」
「えーと、あと3日先の村まで」
「その大きな荷物、何を運んでいるんだろう?」
「あのね、ぼくも、よく知らないんだけど、村の、雑貨屋さんに、とどける荷物だよ」
「どうして、靴まで、担いでいるの?」
「靴底が、すりへって、もったいないじゃない。裸足で歩けば、すりへらないよ」
「一人で、怖くないの?」
「だいじょうぶ! ぼくは、もう、おとなだよ」
「夜は、どこに、泊まるの?」
「一日ごとに、いつも、泊めてもらうお家があるんだよ。」
「今、お茶をわかすから、一緒に飲んでいかない?」
「えっ、いいの?」
「いいよ、いっぱい飲んでいきなね」
少年が、お茶を飲んでいる間、僕は、この荷物を、頭にひもをまわし、持ち上げてみる事にしました。
!!!!!!!!!
首が折れそうでした。
背負えば、僕でも、楽勝ですが、頭から、ひもをまわすのは、とても、勝負になりません。
別れ際、手を振りながら、少年は、大きな声をかけてくれました。
「おじさーーーん、ありがとーーー」
今日も、いい友だちに会えて、気分爽快で、ヒマラヤの奥地を目指しました。
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小さかった頃、よくなわとびで遊んでいました。
でも、大人になってからの方が、もっと、やったかもしれません。
4重飛び連続なんて、楽勝だったのに、今や…
2中飛び連続が、やっとです。
う〜ん、こんなはずでは、ないんだけどなあ…
子どもが描く絵は、技術的な常識を超えて、世界中、どこでも、いい発想をしていると思います。
僕は、あまり他の写真家の作品を見ないのですが(同業者の方、失礼!)絵はよく見に行きます。
構図とか、遠近法とか、バランスとか…そんな事を、なーんにも気にしないで描いている子どもの絵。
その発想と、パワーには、いつも、すごい、インスピレーションを感じます。
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カシュガルの古いバザールは、シルクロードの交易の流れから、今でも、活気にあふれています。
バザールでは、働いている、子どもたちの姿が、とても印象的でした。
写真の子どもは、鍛冶屋で働いている子です。
鍛冶屋も、仕立て屋も、八百屋も…昔の時代から、家業を継いでいくのが、当たり前なのでしょう。
親が働く背中を見て、仕事の技を、覚えてゆくのです。
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この前の水辺の写真の、続編ですが…
その後、トルファン郊外の子どもたちと、一緒に、飛び込みをしていました。
体が少し冷えて来て、ちょっと休憩。そこで記念撮影をとりました。
後ろに立っていて、手をかざして、こちらを向いている子に注目!
この子は、一体何を、のぞきこんでいるのでしょう?
それはですね…
僕も、この子たちと同じ格好をしていました。
少年たちは、僕の股間を見て、喜んでいたのでした!
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カシュガルという地名は、子どもの頃から、ものすごく、魅力的な響きを持っていました。
シルクロードのオアシス、タクラマカン砂漠の西の果て、玄奘三蔵、ヘディン、ヤングハズバンド…
中国シルクロードのオアシスの中でも、とりわけ、僕を惹き付けてやまない名前でした。
中国が、西域を外国人に未開放の時代、いかなる手段で、カシュガルにたどり着くか…
そんな事を考え、地図とにらめっこしている日々がありました。
もし、そんな気持ちを、今、持っているとしたら、いろいろな知恵がついてしまったので、即、実行です。
あこがれの地、カシュガルに、最初にたどり着いたのは、80年代の初頭の事でした。
想像と、妄想に膨らんだ、僕のイメージのカシュガルは、現代のカシュガルとは、少し違っていましたが、それでも、3ヶ月近く滞在しました。
毎日、バザールの中を歩き、買ったばかりのカメラで、子どもたちの写真を撮っていました。
その頃、僕は、まだ、プロの写真家ではありませんでしたが、楽しく、たくさん写真を撮っていました。
当時、未解禁だった、パキスタンとの国境を越えるために、カシュガルをあとにしました。
今は、クンジェラブ峠を、夏の間越える事ができますが、僕が越えたのは、玄奘三蔵が越えたと言われる、ミンタカ峠でした。
この辺りから、アフガニスタンのワハン回廊へ、直接入ろうとしましたが、地形が分からず、いったん、フンザから、ギルキットとへと回り込みました。
カシュガルでも、子どもたちの、パワーに圧倒されました。
後年、今度は、冬のチベットから、カシュガルに行く事になりました。
ワハン回廊へのページ
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チベットで、迷子になってしまいました。
僕が目指していたのは、太陽の都ラサではなく、東チベットの森の奥でした。
今まで、ホワイトアウトの雪山や、砂漠の中だろうと、現在地が分からない…そういう状況に、なった事がありませんでした。
まるで、砂漠のような、無人地帯を10日以上歩き、ようやく、人間が住む村を見つけました。
チベットで、ヤクを2頭買って、旅を続けていました。
エベレストのロンブク氷河を越えると、無人地帯が広がっていました。
これほど、移動を続けて、人間に10日も会わないことは、今まで経験したことがありません。
人口密度の少ないところだとは、感じていましたが…まるで、サハラ砂漠にいるようでした。
僕は、わざわざ道を外れ、地図もコンパスもなく、星と太陽だけをたよりに歩いていたからも知れません。
それで、チベットの人たちと、すれ違うことさえもなかったのでしょう。
人に会わないようにするのは、少し訳がありました。
この旅をした時は、外国人が、自由にチベットを歩いては行けなかったのです。
だから、公安や、国境警備に見つからないように、人に会う事を、避けていたのです。
だから、地図やコンパスを持っていて、見つかってしまったら、不自然で、カメラは、荷物の奥の方に隠し、絶対に見つからないようにしていました。
僕の格好だけ見たら、チベット人のような服装をしていました。
今思うと、「チベットの7年」の中の、ハインリッヒ・ハーラーに、なったつもりでした。
まあ、彼とは、比べ物にはなりませんが…
僕は、確かに、東に向かっていて、ヒマラヤ山脈が、右手に、ずっと見えていたのですから…
2頭のヤクに積んだ食料は、充分、一人が食べるのに、2ヶ月分はありました。
夜は、山賊でもいいから出て来て、話し相手になってほしい…そう、真剣に考えていました。
もしかしたら、地球上から、知らないうちに、僕だけを置き去りにして、みんなどこかへ行ってしまったのだろうか?
真剣に、そう、思うこともありました。
人間に出会わないことは、アラスカ北極圏のツンドラで、もっと長い期間、経験していましたが、まさか、チベットで、10日以上、人に出会わないとは、思いもしませんでした。
不安でいっぱいになった頃、久しぶりに、数件の家が見えて来たのです。
もう、ヤクを引きずって、駆け出して、家の戸をたたきました。
そして、僕を、迎えてくれたのが、この子でした。
家には、他に誰もいないようでした。
どう見ても、4歳くらいにしか見えない子が、手際よく、火をおこし、バター茶をふるまってくれたのです。
うれしくて、少年に、英語、ネパール語、チベット語のチャンポンで、たくさん話しかけました。
少年は、僕の話を、一生懸命理解しようとしてくれましたが、通じてる様子は、ありません。
そのうち、お互いに、顔を見合わせて、笑顔を浮かべて、それだけで、僕には、人間のありがたさを、感じさせてくれました。
少年に、僕の靴下と、ツアンパ(麦焦がし)を交換してもらい、食料を補給し、翌日、さらに、東へと向かいました。
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6月、タクラマカン砂漠の南縁にある、オアシスの街ホータンでは、暑さが、最高に近づきます。
頭が、もうろうとするほどの熱さです。
街の郊外には、小川が流れ、その水路を守るために、ポプラ並木がありました。
街路樹のおかげで、ささやかな日陰ができます。
そんな暑さの中でも、ウイグル族の子どもたちは、あふれんばかりのパワーを、遊びに、全開に注ぎ込んでいます。
道で、こういった子どもたちに出会うと、とても、幸せな気分になってしまいます。
それにしても、日本の子どもたち諸君は、路地から姿を消し、どこへ行ってしまったのでしょうか?
僕が育った街の、路地は、今は、遊んでいる子どもの姿を見かけることは、稀です。
雨の日も、雪の日も、そして、灼熱の日でも、日が暮れるまで、外で遊んでいてほしいと思っています…
ホータンはシルクロードの南側ルート最大の街として、遥か昔、栄えた街でした。
最初にこの街へ行ったときは、外国人の立ち入りがまだ、許されず、僕は、人民服を着て歩いていました。
ホータンから、ようやくたどり着いたローランやロプノールは、何もありませんでしたが、昔読んだ、ヘディンの探検記を、思い浮かべていました。
ヘディンが歩いた頃や、さらには、数百年前も、子どもたちは、路地で、楽しく遊んでいたのでしょうか…
タクラマカン砂漠の空を見上げながら、そんなことを考えていました。
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トルファン郊外の水辺で、少年たちが、声をかけてきました。
ウイグル語も中国語もわからないけど、
飛び込むところを、見てくれーーーそんな意味だったのでしょうか。
ここでも、撮影後、一緒に飛び込んでしまいました。
いろいろなところで、「少年飛び込み隊」と、何度つきあっては、水に入ったことでしょう。
でも、この日の水たまりは、泥水で、鼻が詰まってしまいました。
昔は負けませんでしたが、四万十川などで、橋の上からのジャンプは、もう、子どもたちには、脱帽です。
バック宙、うしろ一回転半ひねりなど、もう、かないません。
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ススマに初めてあったのは、カトマンズの、冬の初めのことでした。
今から、もう、何年も前のことです。
カトマンズの野菜バザールは、日の出より早く始まっています。
天秤棒に、山盛りの人参や、カリフラワーを担いで、近くの農家から、売りに来る人もいます。
僕も、ネパールにいる時は、ニワトリより早く起きて、街をうろつきます。
この日も、カトマンズのチェトラパティにある、野菜バザールを歩いていました。
ふと誰かに見つめられている視線を感じました。
それが、ススマという名前の少女でした。
彼女はこの朝、兄さんのポルカースと一緒に、野菜売りを始めました。
三歳の冬のことです。
これは、その時の写真です。
それから、カトマンズに暮らしている日々には、毎日のように、ススマの野菜バザールへ、顔を見に行きました。
たまたま、朝に見かけない日があると、心配で、仕方ありませんでした。
そんな時は、兄のポルカースに、ススマは今日はどうして休んでるの? と、声をかけます。
「寝坊しちゃったんだよ&」
という返事の時は一安心。
「風邪引いて寝ているよ&」
と、聞くと、彼らが住んでいる家を訪ねたこともありました。
それから、10数年。
チェトラパティの野菜バザールには、すっかり大人になったポルカースの姿を、未だに見かけます。
ススマは、姿を見せません。
そう、お嫁に行くのです。
僕は、時の経つ早さに驚きました。
振り返ってみると、カトマンズの子どもたちの写真を撮りだしたのが、ススマとの出会いがきっかけでした。
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校舎も校庭もない、ヒマラヤの小さな学校です。
段々畑の1段を、村の人が提供していました。
先生もいません。
年長の子どもが、小さい子どもに教えています。
僕は、臨時飛び入りで、先生をしました。
地球の自然のこと、日本のことなどを、段々畑の学校で、子どもたちと、楽しい時間を過ごしました。
僕のネパール語は、かなりいい加減なので、理解してもらえたでしょうか。
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チベットの西にある、チャンタン高原を、ヤクで旅をして、テントを張っていました。
朝、テントの外に、人の気配を感じて、ジッパーを開けてみると、3人の子どもが立っていて、ぼくをじっと見つめていました。
あたりを見回すと、村や、遊牧のテントはなく、この子たちは、一体どこからやってきたのだろうか? と、不思議でした。
「君たちは、どこからやってきたの?」
そう聞いてみると、一人の子どもが、遠くの地平線を指差しました。
きっと、あの彼方に、子どもたちの家があるのかもしれません。
「どうして、ここに人がいるって、分かったの?」
「なんとなくさ」
「ここまで歩いてきたの?」
「そうだよ」
「何時間くらい歩いたの?」
そうきくと、キョトンとしていました。「時計」という概念は、きっと知らないのでしょう。
それより大切なのは、体で感じる、自然のサイクルです。
そんな話を聞いた、ぼくも、時計を持っていきませんでした。
もう、何年も、自然の中に入る時は、時計を持っていきません。
時計がなくても、太陽と、星が出ていれば、30分以内の誤差で、おおよその時間が分かるすべを、かつて、ミクロネシアにある、ヤップ島で、教えてもらったことがあります。ぼくは、この、自然の時計で、流れを感じることが、大好きです。
少年たちは、好奇心いっぱいな瞳で、テントの中のものを、きょろきょろと見ていました。
もし、ぼくが、逆の立場だったら、同じことをしていたでしょう。
こんな、時間を越えた旅ができるところが、この星には、どれだけあるでしょうか。
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ネパール・ヒマラヤは、森が少なくなってしまいました。
竹で編んだドッコというカゴを担いでいる、子どもたちに、よく出会います。
薪を集めに行くところです。
ヒマラヤの奥地の村は、電気やガスがほとんど普及していません。
ほとんど…というのは、村や地域によっては、超小型の水力発電や、バイオガスなどを利用した村が、まれにあります。
こんな村を見ると、時代は変わったなあ…と、思うこともあります。
それでも…巻き拾いは、生活にとって、とても重要なことには変わりありません。
たびたび、登場する、ネパールの友人、インドラの言葉です。
「じいちゃんの頃は向いの山で薪もとれた。親父の時代には森まで一時間だった。それが今じゃ片道三時間。弟たちの森は遥か彼方さ。俺の子供の世代には、何も残っていないかも知れないな。その後は、家の屋根でもはがさなけりゃやっていけないんだよ」
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ぼくは、大きくなったら、アイスクリーム屋さんになりたい。
だって、アイスクリーム屋さんは、路地の子どもたちの、あこがれなんだもん。
あつーい、夏の日に、つめたーい、アイスクリームをくれるおじさんは、
羽の生えてない、天使のように見えるから…
カトマンズの、路上で知り合いになった子どもたちに、テーマ自由で、絵を描いてもらったことがありました。
10歳〜12歳の子どもたちです。この絵以外にも、いずれ、たくさん紹介したいと思います。
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Bakhutapur Nepal
Children are playing with small merry-go-round. This merry-go-round is manual rather than is electric.
大きな、電気がキラキラ飾ってあるメリーゴーランドはないけれど、子どもたちは、小さなメリーゴーランドで、笑顔を浮かべて、くるくる回っています。
大きな遊園地はないけれど、小さな移動遊園地が、早くやってこないかと、待ち遠しい子どもたち。
プレステや、ゲームボーイはないけれど、遊びを工夫することにかけては、天才的な子どもたち。
子どもたちの、こういう姿を見ていると、大人になってしまった僕は、子どものひらめきを、一瞬感じます。
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午後3時頃。カトマンズの路地裏を抜け、市内の西側を流れる、ビシュヌマティ川。
学校帰りの小学生が、何人も、集まっていました。
突然、みんなで、制服を脱ぎ捨て、雨期の終わりの、泥と、ゴミでいっぱいの、川に飛び込んで、泳ぎ出しました。
「おじさんも、見てないで、一緒に泳ごうよ!」
僕に声をかけてきました。
この、汚れている川に入るのか…
飛び込んでみると、蒸し暑い日の、水浴びに、子どもたちと、じゃれ合うのは、とても楽しい気分でした。
そのあと、夜になったら、からだが、かゆくなってしまいました。
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インド北西部、ザンスカール地方リンシェ村の(4100m)、麦の畑で
リンシェ村の青空学校に学ぶ、いつも笑顔のたえない、一家の大切な働き手です。将来はエンジニアになりたいといっています。
けれど、まだ自動車も街も見たことがありません。
タムチョスの父親は、ある冬の初め、タムチョスを連れて「氷の回廊」の旅をする決心をしました。
厳しい旅と、初めての見る街や車……。
この旅で、村の中しか知らなかったタムチョスは、その価値観を激しく揺さぶられ、大人への第一歩を踏み出すことになります。
タムチョス少年が、「氷の回廊」の、主人公のひとりです。
この連載では、著作に、記述したことを、新たに、書き加えていく予定です。
著作にはなかった、その後の、様々な物語や、僕自身が関わった、背景など、挿入していきます。
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アフリカ南部のジンバブエの小学校…
ふと立ち寄った小学校で、子供たちが、出迎えてくれた。
こんなに整然と並ばれて、挨拶されると、ちょっと、戸惑ってしまった。
僕は、いろいろな国で、小学校を、アポなしで、訪ねることがよくあるのだが、こんな出迎えを受けたのは初めての経験だった。
肌が黒く、その中に目と歯だけが真っ白で、とってもかわいくて、笑顔がすばらしい。
車で走っている途中だったので、どの村か、記憶が定かではなかった。
アフリカの大きな街全体に言えることだけど、治安が非常に悪い。首都のハラレも、以前は、アフリカの中で一二を争う、治安のいい町だったと言うが、今では、日没後に歩くと、強盗に遭遇する確率が高くなっている。
それでも、地方は、危険が少なく、人も穏やかだ。
サバンナの中にある小学校だった。
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