「ヒマラヤを越えて」 Everest

初めてこの山を目にしたのは、1980年頃だった。
当時、山登りをしていた僕には、世界最高峰の魅力はあっても、遠い遠い存在だった。
その頃、エベレストの登山は、手続きが煩雑で、今のように、資金さえあれば、簡単に許可が取れるというものでもなかった。あの頃は、気力も体力も充実していたけれど、許可待ち5年、なんて当たり前の時代だった。
もう時効になってしまったから、いいだろうけど…
資金も許可もない僕は、エベレストに、ゲリラ的な挑戦を企てようとしていた。
そう、無許可登山だ。
仲間を募ったけれど、誰もOKしてくれず、単独行を実行することにした。装備はものすごく貧弱だった。もちろん、1本数百ドルする酸素ボンベなど、買えるはずもなかった。
1987年6月、まず、香港に立ち寄り、中国のビザを所得した。その1年前、中国の、外国人が立ち入りを禁止されていた、西域の奥地を、旅して、中国国内を、自在に歩くコツを覚えていた。ニセの学生証を作り(吉林大学という架空の学生証を作ってもらった)、人民服を着て、漢字の筆談で、なんとかやっていけた経験があった。(この前年の旅についても、パミール高原からヒマラヤを越え、当時戦争中だったアフガニスタンの旅など、すごい経験をした。いずれ、この旅のことも、書こうと思う)
エベレストの登山ルートは、チベット側からトライしてみようと、思っていた。ネパール側は、氷河の状態が険しく、単独こうの登山としては、大きなリスクがついて回る。それに、無許可登山が、発覚しやすかったのだ。チベット側は、氷河が穏やかで、うってつけだった。
チベット側のエベレスト周辺やヒマラヤ山脈の北側のほとんどの地域が、当時、外国人の立ち入りを、厳しく制限していた。
ネパールの首都カトマンズ。もう、雨期が始まっていた。
ネパール側からの登山は、通常、3〜5月、10〜11月で、6月は、雨期が始まり、ヒマラヤ山脈も、ベンガル湾からのサイクロンや湿って季節風により、深い雲の仲に隠れてしまう。しかし、チベット側は、8000mを超すヒマラヤ山脈が盾になり、南東からの、湿った雲を、遮断してくれるのだ。だから、6月でも、チベットは天気がいい。
中世の街並のようなバザールで、3ヶ月分の食料や、装備を探しまわり、出発の準備を整えた。
シェルパも使わない、全くの単独登山なので、宿に、荷物を集めたり、運んだりも、人に頼れず、大変だった。小さな部屋の中は、ジャガイモやタマネギ、小麦粉、米、ニンニクで、山のようになってしまった。
僕は、少し心配していることがあった。
エベレスト単独行の計画が、誰かにバレてしまはないか…
顔見知りのシャルパや、政府関係者にも、たくさん知り合いがいて、こんなに大量な食料を持っていれば、「遠征隊」だ、と思われてしまう。このときばかりは、ネパールの知り合いに、街角でであっても、とぼけるようにしていたのだ。
どうしてかというと、「無許可登山」が、バレてしまうと、大きな代償が待っているからだ。
多額の罰金、5年間の入国禁止…ヒマラヤに通いつめていた僕には、考えただけでもぞっとする、ペナルティーだ。
実は、当時の、ネパール観光省登山局長は、僕の親しい友人が務めていた。だから、なおさら、「無許可登山」が発覚して、彼に迷惑がかかるのも避けたかった。
それでも、エベレストに登りたかった。
世界最高峰の頂上は、当時の僕にとっては、とても大きな魔力があった。8848mという高さだけではない。チベットという、僕にとってのあこがれの大地に足を踏み入れる興奮で、心があふれていた。
(「ヒマラヤを越えて」は、内容の順序の時系列に関係なく、ゆっくりと連載してゆきます。ヒマラヤ越えは、現在まで、10回以上してきました。そのほとんどが、いわゆる、「密入国」みたいなものです)
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